なかなか時間が取れずに年をまたいでしまいました。今回は”守破離”の最後である”離”について、前回からの続きです。
前回 中島敦 ”名人伝”(青空文庫)をご紹介しましたが皆さんはどう感じられましたでしょうか。主人公の紀昌(きしょう)は紛れも無く”離”の境地に達した弓の達人と見受けられますが、私達が多くの修練を積んだ後に目指そうと考えるゴールではないでしょう。
それでは私達が目指す”離”の姿とはどの様なものなのでしょうか。答えは・・・無いんです。期待させておいてすみません。でも考えてみてください。もし誰かが”離とはこういうものである”と言いそれに向かって修行していくとなったら、それって”守”ですよね。うーん、パラドックス。。。
前回”離”の説明として、”離”とは”守””破”の段階を超え、何事にもとらわれることなく自在に振る舞い、独自の境地に至るレベル、と書きました。”離”とは目指すべき姿ではなく何か一つの事を追い求め必至に修行した結果至る状態であり、それは正に”独自の境地”で一人一人まったく異なるものなのでしょう。
はい、終了。。。ではあまりにも味気ないので、最後に歌屋が思うところの”離”の境地の一端を少しだけ。キーワードは”自分を離れる”です。
歌が上手くなりたいと練習を重ね、自分で満足できるレベルに至ってもそこまでではいわゆる自己満足であって、自分の歌で人が楽しんだり、喜んだり、感動してくれるとなったら、そこには格段のレベルの違いがあり、これも一つの”離”であると言えましょう。
但しこれもまたゴールではなく、そこからまた人のために歌うか自分のために歌うかで苦しみ、それを乗り越えその2つがイコールとなり・・・と道は果て無く続いていくのです。
さて、これにて本当に”守破離”シリーズの終了です。皆さんもゴールの無い旅に出てみませんか。楽しいですよ。
歌屋ボーカルスクール
♪Singing songs changes your world.
前回 中島敦 ”名人伝”(青空文庫)をご紹介しましたが皆さんはどう感じられましたでしょうか。主人公の紀昌(きしょう)は紛れも無く”離”の境地に達した弓の達人と見受けられますが、私達が多くの修練を積んだ後に目指そうと考えるゴールではないでしょう。
それでは私達が目指す”離”の姿とはどの様なものなのでしょうか。答えは・・・無いんです。期待させておいてすみません。でも考えてみてください。もし誰かが”離とはこういうものである”と言いそれに向かって修行していくとなったら、それって”守”ですよね。うーん、パラドックス。。。
前回”離”の説明として、”離”とは”守””破”の段階を超え、何事にもとらわれることなく自在に振る舞い、独自の境地に至るレベル、と書きました。”離”とは目指すべき姿ではなく何か一つの事を追い求め必至に修行した結果至る状態であり、それは正に”独自の境地”で一人一人まったく異なるものなのでしょう。
はい、終了。。。ではあまりにも味気ないので、最後に歌屋が思うところの”離”の境地の一端を少しだけ。キーワードは”自分を離れる”です。
歌が上手くなりたいと練習を重ね、自分で満足できるレベルに至ってもそこまでではいわゆる自己満足であって、自分の歌で人が楽しんだり、喜んだり、感動してくれるとなったら、そこには格段のレベルの違いがあり、これも一つの”離”であると言えましょう。
但しこれもまたゴールではなく、そこからまた人のために歌うか自分のために歌うかで苦しみ、それを乗り越えその2つがイコールとなり・・・と道は果て無く続いていくのです。
さて、これにて本当に”守破離”シリーズの終了です。皆さんもゴールの無い旅に出てみませんか。楽しいですよ。
歌屋ボーカルスクール
♪Singing songs changes your world.